最も伝えたいこと
同じ人間?
①おもしろくて「ためになる」授業ということがよく言われる。なぜ勉強するのか、と聞かれたときに、私だったら「それは人間とは何か」ということを知るため、と答える。
小六の理科で、「ヒトのからだ」という単元がある。ここで私は、教師として最も子ども達に伝えたい事を授業している。まず私は黒板に、「スフィンクス」と書く。「スフィンクスって知ってるか?」と聞くと、たいてい半分位の子どもが知っている方に手をあげる。知らないという子どものために、黒板にマンガでスフィンクスを描いてみせると、たいていは「ああ、あれか。」等と反応する。次に「スフィンクスの謎」って知っているか?」と問いかけると、知っている子はごくわずかで、クラスで2~3人ぐらいしかいない。知っているという子を指名する。「朝は4本足、昼は2本足、夕方は3本の足で歩く動物は何か?」という感じの答えが返ってくる。「答えも知っている?」と聞くと「人間でしょう?」と言う。「そう。この答えの意味は、つまりこういう事だ。」と言いつつ私は上履きを脱いで教卓の上に乗り、子ども達に対して横向きになるように四つん這いの姿勢をとる。そして手足をマイムウオークのように動かして、その場這い這いをして見せながら「朝、つまり生まれたての時は4本足。」次に四つん這いからだんだんに立位姿勢をとっていき、二本足でマイムウオークをしつつ「やがて立って二本足で歩けるようになり....」
だんだん腰を曲げていってパントマイムで杖を作り、杖をつきながらマイムウオークをして「夕方、つまり老人になると杖も含めて三本足で歩くのが人間の一生だという事をこの謎はいっているんだ。」と、パントマイムと語りを混ぜながら説明する。
「4、2、3と3つの数字が出て来たが、この中で二本の足で歩くことが人間の最も大きな特徴であると言われている。これを直立歩行というのだが、直立歩行できるのは果たして人間だけなんだろうか?二本足で歩けそうな動物の一例として、チンパンジーについて考えてみよう。誰か、前に出てきてチンパンジーの歩き方をまねしてみてくれないか?」どのクラスでも必ずやってみたいという子どもが3~4人はいるものだ。理科室の教師用テーブルは結構広い。ステージ代りにはうってつけだ。前にでてきた子ども達は、たいてい顔を猿っぽく作り、片方の手を頭のてっぺんに、もう片方の手をあごの下に添えて、ガニ股で忙しく歩く演技をする。まねする方もそれを見る方も大爆笑だ。ひととおり子ども達にさせた後で「じゃあ今度は先生がやって見せるから。」と言って教卓ステージに登る。そして顔芸は一切せず、チンパンジーの特徴的な歩き方のみを真似してみせる。「にてるにてる!」と子ども達が反応する。
演示を終えてからこう説明する。「チンパンジーの場合、二本足でうまく歩いているように見えるが、腕を、バランスをとるために使っているので、完全な直立歩行とは言えない。じゃあ次にこの動物はどうだろう?」と言って黒板にイラストを描く。ハトの絵だ。「ハトは、二本足で立っているね。しかも、羽を使って空までとべる。人間よりはるかに自由な直立歩行ではないかとも考えられるね。じゃあ、誰かハトの歩き方をまねしてくれる人はいないかな?」と子どもに呼びかける。例によって演技を買って出た数人の子どもが教卓ステージに上ってハトまねをする。たいていの子が、片手で嘴(くちばし)らしきものを作り、もう片方の手で尾を作って嘴で何か突っつくまねをしながら歩いていく。
次は私が正解を演じる番だ。「ハトの歩き方はこうだ。」私は一歩脚を出す度に首を前後に動かして見せる。「ハトは脚の筋肉と胸.首の筋肉が連動していて、歩くたびに首が動いてしまうんだ。さらに、歩いている時のハトの腕.つまり翼はたたんだ状態なので、腕も入れるとハトの歩き方はこうなる。」と言って、先程の首前後運動に加えて腕関節を折り畳んだ状態のまま歩いてみせる。「つまりハトの場合、脚は歩いていても上半身はとても不自由な状態だ。だから、これも完全な二足直立歩行とは言えない。人間の場合、歩きながらこんな事もできるし、こ~んなこともできてしまう。」
私は歩きながら腕をいろいろに動かしてみせる。そして黒板に「手の独立」と書いて、「二足歩行の本当の意味は、単に二本の脚で歩けるだけではなく、手が自由な状態のまま歩ける、という事なんだ。もう少し自由について考えを進めるため、ネコを例に挙げてみよう。ネコは、人間よりも身体が柔らかく、手足もより自由に動きそうに思えるね。だけど、ネコは走るとき、手足の状態はこんな感じになっている。」と言って黒板にネコが後足で地面を蹴る時と前足(手)から着地する時の絵をマンガ風に描いて見せる。
「ネコは地面を蹴る時、つまり脚(後足)が伸びる時は腕(前足)が縮んで、着地する時、つまり腕が伸びる時は脚が縮むという反射を持っている。だからネコの手足の動きは、人間よりもはるかに制限されていて不自由だと言える。この動きを実際にやってみると、こんな感じだ。」と言いつつ教卓の上に立ち、子ども達に対して横向きになって、下肢屈曲上肢伸展.上肢伸展下肢屈曲の動きを連続してやって見せる。「この動きは、黒人のダンスの基本の動きにもなっている。黒人のダンスの動きがダイナミックなのは、このように動物の反射が動きの基本になっているからだ。」
②
ここで私は話題を元に戻す。「話をスフィンクスの謎にもどそう。昼間2本脚で歩く動物は人間という事だった。ではいつまでたっても2本脚で歩くことができない人間はどうだろうか。先生が先生になった時、初めて担任した子はそういう子だった。養護学校という、車椅子の子ども達が行く学校にいたんだ。先生は2人の脳性マヒの子どもを担任することなった。」私は二人の子どもの顔を黒板にマンガチックに描く。「この子はTちゃんで、こっちの子はKちゃんっていう子だった。」そして、以下に記す内容を子ども達に話す。
子どもとの初対面の日、私は非常に緊張していた。それまで、脳性麻痺の障害者と関わった事がなかったからである。母親の運転する車に乗って登校してきた子どもに、空元気な声をかけた。「Tちゃ~ん!」おどけた身振り、大きな声は恐怖心の裏返しだった。幸いにもTちゃんは「うへへ~」と、大きな口を開けて笑ってくれた。内心「しめた、この子の心をつかんだぞ」と思った私は、Tちゃんを車椅子から降ろすためにだっこをした。
次の瞬間、Tちゃんは突然全身をつっぱり始め、息が荒くなった。私は慌てて、「ごめんごめん!」と言いながら教室の畳の上にTちゃんを降ろし、寝かせた。脳性マヒに見られる「緊張」は、特に心が動揺したときに多く見られる。Tちゃんは、私が表面ではにこにこしていても内心では未知なるTちゃんに対して恐怖感を抱いている事を瞬時に見抜いたのだろう。
私の担当したもう一人の子どもは、Kちゃんという男の子だった。Kちゃんは点頭てんかんを抑制する薬を飲んでいたため、ほとんど眠っている状態だった。TちゃんにしてもKちゃんにしても、発達年齢は生後約5ケ月のままだった。教師としての私の最初の仕事は、2人のオムツを替えることだった。当然二人は言葉を話せなかったので、担当した6年間、子どもから「せんせい」と呼ばれる事もなかった。養護学校での授業は、絵の具のぬたくりとか、歌に合わせて乾布摩擦をしたりといった、感覚的なものが主であった。私は先輩の先生が行う授業を見よう見まねで学んでいった。
しかし時が経つにつれ、私の心の中にこれらの授業に対する疑問がどんどん膨らんでいった。例えば、「ぬたくり」で、先輩の先生はTちゃんの手の指先に絵の具をちょこちょこっとぬってから、「は~い、Tちゃん、手をのばしてごらん。」と言いながら、結局その先生はTちゃんの腕を強制的にカンバスのところに持っていき、ぐじゃぐじゃとカンバスにいろんな模様を描かせ、出来上がった「作品」をTちゃんに見せて「はい、Tちゃん、上手にできたわね。」と言うのだ。Tちゃんの様子はというと、無理やりの作業により身体がガチガチに緊張してハアハアゼイゼイいっている。「インチキだ。」私は心の中でそう思った。養護学校の授業はおしなべてこんな感じであった。
養護学校に勤め始めて1年を待たずして私は教育というものに失望を覚えていた。本気で転職も考えていた。ところが翌年、私の人生を変えると言ってもよい出来事があった。県内のW養護学校から、M先生が転勤してきたのだ。
M先生は、私の担任していたTちゃんもMちゃんも、なんとたったの1日で変えてしまった。
M先生は、だっこをするたびに棒のように身体を突っ張って緊張させ取り付く島のなかったTちゃんをおとなしく座らせただけでなく、あれほど硬直して握りこんでいた手のひらを一片のフェルトの切れ端によって開かせたのである。Tちゃんは、初め自分の開いた手のひらを不思議そうに眺めていた。M先生は更に、「Tちゃん、この手を伸ばしてみようか。」と言いながらTちゃんの手のひらを体幹から遠くに離れていくように誘導し始めた。Tちゃんは初め、手のひらが体幹から離れようとすると、ぐぐーっと開いていた手を握り込みながら腕を縮めようとしていた。M先生はそのたびに、「ああ、こわかった?じゃあ縮めていいよー。」とにこにこしながらTちゃんに話しかけ、また頃合いを見て「じゃあもう一回やってみようか。」と言いながらTちゃんの腕を軽く支えながら誘導していった。結果、30分を経ずしてTちゃんの腕は完全に伸びきり、その腕の先にはフェルト片にぴったり吸い付くように開き切った手のひらがあった。
そもそもこの体勢自体が普段のTちゃんにとっては不可能なものであり、驚愕に値するものだったのだが、私がそれよりもショックを受けたのは、Tちゃんの表情だった。Tちゃんは、開き切って自分の顔から遠くに見える自分の手をひたすらじっと見続けていた。それは限りなく知的な表情であった。その時のTちゃんは、間違いなくこの自分の手の意味というものを考えていたのだ、「これは何だろう」と。
それはKちゃんも同じだった。Kちゃんは先にも書いたように、寝たきりの生活だった。大きな身体がただそこに転がっているだけだった。身体は常に脱力状態で、立位はおろか、寝返りも打ったことのないような感じであった。そのKちゃんが、M先生が来たその同じ日に、あぐらをかいて座ってしまっていたのだ。骨盤は完全に起き上がり、上体をささえるのに両手を使っていた。Kちゃんは5分以上あぐらで座っていた。重力に一度も逆らったことのないKちゃんが抗重力姿勢をとっている。それは、彼の普段の姿を知る誰もが驚愕する光景だった。でも、一番驚いていたのは、Kちゃん本人だったのだ。Kちゃんはしきりに首を動かして、この状況を把握しようとしていた。
Kちゃんの眼は視力がなく、明るさを感知できる程度と聞いていた。事実視線など合ったこともなかった。ところがその時のKちゃんの眼は、確かに何かを「見ていた」。視線が宙を泳ぎ、「何なんだこれは?」という表情をした。Kちゃんに出会って2年間、全くお目にかかったことの無い顔であった。全ての人間は学習する、この衝撃的な事実が全身を貫いた。「この人、本物だ。」私は即座にそう感じた。
「本物」のM先生は、TちゃんとKちゃんへのアプローチを終えた後、私に脳性マヒ障害のメカニズムについて教えてくださった。全ての人は母親の胎内にいたときに原始姿勢Gパターンと呼ばれる、内側に丸まった状態であったこと。それが脳になんらかの傷を受けたことで出生後もGパターンに逆戻りしよう、内側へ内側へと丸まろうとする力が働くこと。その結果、自分の身体の内側しか意識できず、外側の部位である背中、おしりがほとんど認識できていないこと。そのため、通常の赤ちゃんがこれから手足を使っていくために行う伸展運動(足のけりなど)を、本来使うべきおしりの筋肉(大臀筋)の代りに中臀筋と呼ばれる腰の横についている筋肉を使ってしまっていること。中臀筋を使って脚を伸展させると、脚は内旋するしかないこと、等々。聴けば聴くほど、なぜ脳性マヒのTちゃんがああいう身体の状況なのかということが実によくわかる。M先生は更に言った。「子どもに見られる現象の一つ一つには、必ず理由がある。」と。
③
私の話は長くなったが、子ども達は身じろぎせずに私を見て聞いている。「そう。見た目に表れる人の形、姿勢、動きには、必ずそうなっているわけがある。」と言って、黒板にもう一人男の子の顔をマンガで描いてみせ、「この子は『よっちゃん』という子で、普段は松葉杖を使って歩いていた。よっちゃんの歩き方はこうだ。」私は内股で爪先だちで歩いて見せる。これを見て笑う子は教室にはもういない。「こういう歩き方をしている人を街で見かけることもあると思う。養護学校にいたよっちゃんもそうだった。よっちゃんもやはり脳に傷を受け、背中やおしりの筋肉の使い方がわからず、杖無しで立つには腰の横の筋肉を使うしかなかった。しかしそれだけでは体重を十分ささえきれず、どうにかバランスをとって立つだけでやっとだった。それでもよっちゃんは努力家だったので、その体勢でむりやり歩こうとした。そして胸でむりやり支えに使っている脚を引っ張り上げて引きずり歩く事になった。その結果よっちゃんはこういう歩き方になり、胸も無理な力が加わったためにだんだん変形していったんだ。」
「そう。『人の見た目』には必ず理由がある。もう一つ実験をしてみよう。」
私は子ども達に水の入ったコップを2つ見せ、「誰か、口をいっぱいに開けたまま上を向いてコップの水を飲むことができるかい?」と聞く。子ども達は、そんなの簡単だという。実験台を買って出た子どもに「いいか、絶対に口を閉じるなよ。」と念を押す。水を口の中に入れられた子どもは、なかなか水を呑み込むことができず、目を白黒させている。子どもは意地でも飲もうと無理やり水を喉に流し込み、激しい咳と共に水を吐き出してしまう。見ていた周りの子どもらは爆笑して「きたねー。」などと言っている。
次に友達に笑われてしまったその子どもにもう一つのコップを渡し、「今度は先生に飲ませてごらん。」と言って上を向き、大きく口を開いて見せる。私とて口を開けた状態で水を飲むなどという芸当ができるはずもなく、先の子ども以上にド派手にむせ返る。教室は笑いの渦だ。
ようやく落ち着いた私は、子ども達に説明をする。「誰だってこんな状態で水を飲めるわけはないんだよ。つばを呑み込む時って、口を閉じるだろう。口を開いて上を向くと、息を吸い込むための気道が広がって、水が肺の方に行ってしまう。肺は生体防衛反応で入ってきた水を出そうとするから咳が出るんだ。
先生が養護学校のTちゃんを初めて担任した頃、給食を食べさせようとして食べ物をTちゃんの口の中に入れてあげるとTちゃんはひどい咳をして先生の顔に食べ物がふきかかった。はじめはなぜそんなに咳き込むのかわからなかった。でも、いつも緊張であごが上を向いて口を閉じる事のできないTちゃんの姿勢の状態では、咳き込むなという方が無理だったのだ。では、なぜTちゃんは口を閉じて物を呑み込むことができないのだろうか。それは、お母さんのお腹の中で脳に傷を受けた時に、せっかくGパターンから少し広がった身体が、また丸まる方向に行ってしまって、身体の内側にある筋肉がとても狭いというイメージができてしまった。口を閉じたり開いたりする筋肉は、あごの下側にある。みんなもあごの下に指を当てたまま、口を開いてごらん。そこが固くなるのがわかるだろう。固くなるということは、そこの筋肉が縮んだということなんだ。Tちゃんは、身体の内側にとても狭いイメージを持っているので、あごの下の筋肉もいつも縮んだ状態だった。だから口を閉じることができなかったんだ。それがわかってからは、Tちゃんに何かを食べさせる時には、上を向いてしまっている首が正面を向くようにし、食べ物が口の中に入ったら唇を閉じられるように誘導してあげるようにしたんだ。」と。
④
それから私は黒板に大きく「同じ人間」と書いて、子ども達に次のように話す。「あるとき、養護学校の遠足で動物園に行ったんだ。するとどこかの幼稚園の子ども達とアライグマかなんかのオリの前でいっしょになった。幼稚園の子ども達は自分の気持ちに正直なので、よだれをたらして車椅子に乗っている養護学校の子どもを気持ち悪そうに見て、「わあ~、ヨダレたらしてきたなーい。」と口に出していってしまう。すると、幼稚園の先生が「そんなこと言っちゃだめよ。同じ人間なんだから。」と言って子どもをたしなめていた。でもこの先生は、自分自身でも同じ人間だと思って言っているのだろうか。だって外見だけならば明らかに普通じゃない。ちがう形をしたちがう人間だ。幼稚園児たちは大きいのによだれをたれ流している様子を見て自分達とは違うと感じ、それを口にしただけだ。
その時の幼稚園の先生も、多分正直な気持ちは園児と同じだったかもしれない。でもそれは、その先生のせいじゃない。知らなかっただけなんだ。「なぜ同じ人間なのか」という事を。じゃあこれから、よだれをたれ流している脳性マヒの人間がなぜ同じ人間なのか実験で説明しよう。口を大きく開たまま、5分間絶対に口を閉じずにいてごらん。」と言って教室の子ども達にやらせてみる。そして私も同時にやってみる。3分も経たないうちに半数以上の子どもはリタイアしてしまう。辛抱強く5分続けた子どもは、ヨダレが垂れ流しだ。そして私もヨダレを垂れ流しだ。「無理だよ、先生。つばがたまってきてできないよ!」
「だれだってそうだよ。これでわかったと思うけど、我々がよだれをたれながさずに済んでいるのは、口を閉じて絶えず出ているつばを呑み込んでいるからなんだ。我々の場合、それを無意識に行っている。それは生まれてから約3年かかって学習して身につけた能力だ。生まれたばかりの時のヒトの身体は、まだ完全にGパターンから解放されていない。口の動きをコントロールするための筋肉も使える状態ではない。だから、赤ちゃんのころは誰でもよだれをたらしっぱなしだ。同じ人間だからよだれを垂らす理由も同じだ。
また、口を閉じず、下顎の筋肉を固くこわばらせたまま何かをしゃべろうとすると脳性マヒの人特有のしゃべり方になる。脳性マヒの人が、なぜいっしょうけんめい話そうとすればするほど独特のしゃべりになってしまうのか、という理由もここにあったわけだ。
一見「ちがう人間」に起きている現象が「なぜなのか」を科学的に追求していくと、われわれが同じ人間であり、ちがうのは与えられた条件(運命)だけである事がわかってくる。これが「同じ人間」という事の本当の意味だ。」話はさら続く。
⑤
「同じ人間であるもう一つの例について話そう。こういう形をした脳性マヒの人がいる。」と言って、私は典型的な脳性マヒの身体パターンの真似をしてみせる。「これは人間が生まれつき持っている反射のパターンでATNR(非対称性頸反射)という形だ。生まれて約5カ月以内の赤ちゃんには、仰向けに寝た状態で首を横に向けると向いた方の腕が伸び、逆側の腕と向いた方の脚が曲がるという反射が見られる。この反射は大きくなるにつれて脳によって抑えられるようになる。ところが、普通に生活していても時々、抑えられていたはずのこの身体の形が出てくる場面がある。例えばこんな場面。」
と、子ども達の前であるポーズをして見せる。「これは何だかわかるかい?」と聞くと、「野球のピッチャー!」と子どもらが答える。「そう。投げようとする時にATNRが出てくるよね。じゃあこれは?」とさらに次のポーズ。「弓矢!」と子ども。「そう。弓をひき絞るときのポーズは、まさにATNRだ。他にも、空手の突きや、お寺の門のところにいる仁王様にもATNRの形が現れている。この反射の形は、ダンスにも出てくる。例えばこんなふうに。」
私は袋からひょっとこのお面を出してかぶり、用意してあったラジカセのスイッチを入れる。お囃子のテープがかかり、私は嵐山町の長老に教わったひょっとこの踊りをしてみせる。そして、踊りの随所に出てくるATNRの部分でモーションをストップさせて、「ここ!」「これがそう。」というように子ども達に示していった。
さらに、「ATNRがでてくるのは日本の踊りだけじゃない。例えばこんなように。」と言いつつ別のテープをかける。流れてくるのは、黒人ラップだ。私はラップのリズムに合わせて、ヒップホップのATNR的なステップとそのヴァリエーションをいくつか踊ってみせる。「今のは黒人のダンスだけれども、やはりATNRの形がよくでてくる。この形こそ、動物にはみられない非対称性の人間特有の反射なんだ。それから参考までに、黒人のダンスの基本の動きの中には、先ほどの話で出てきた、ネコなどの動物的な反射=対称性のTNRという反射を使った動きがよく出てくる。これは両脚が曲がると上半身が伸び、両脚が伸びると上半身が内側に曲がるという反射だけれども、この動きをリズムに合わせてやってみるとこうなる。」と言って踊ってみせる。
「話をもう一度ATNRにもどそう。ちょっと見ただけでは普通でない脳性マヒ特有のこの形.姿勢の中には、人類が共通してもっている形が含まれている。ちがう人間だからそういう形をしているのではなく、同じ人間だからそういう形をしているのだ。もし仮に学校の帰り道、先生もしくはみんなが交通事故などにあって頭を強く打ち、脳に傷を追ったとする。傷の場所によっては一命を取り留めたとしてもATNRの形がからだに残り得る。だからこの形は他人事ではない。科学的に現象をとらえると、人間はみんな同じであり、ちがうのは与えられた条件だけだという事がわかる。」
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